
刻の間展
会期:2021年1月12日[火]-2月6日[土]
前期 1月12日[火]-1月23日[土]
後期 1月25日[月]-2月6日[土]
(二期に分けて展示致します)
開廊時間 11:00-18:30 日曜休廊
《出品作家》
前期:1月12日[火]-1月23日[土]
麻田浩
泉茂
今井俊満
瑛九
恩地孝四郎
香月泰男
風間完
斎藤真一
篠田桃紅
難波田龍起
宮崎進
後期 1月25日[月]-2月6日[土]
相笠昌義
有元利夫
奥山民枝
落田洋子
加藤清美
加納光於
柄澤齊
谷川晃一
中林忠良
野田哲也
野田裕示
櫃田伸也
作品とその作り手、そして作品と「私」との間に生まれる対話は、さまざまな視点で顧みるきっかけを作ってくれます。
時に作品と私たちの関係が変化し、それらが持つ意味も少しずつ変化していくのかもしれません。
今、変化のとば口に立って、私たちからのまなざしを待っています。作品にうつし出された時に思いを巡らせ、それぞれの「あわい」を感じて頂ければ幸いです。
香月泰男 KAZUKI Yasuo
リトグラフ 1972年 430×300mm
リトグラフ 1971年 360×280mm
リトグラフ 1972年 380×260mm
リトグラフ 1972年 430×300mm
1911(明治44)年、山口県大津郡三隅村(現・長門市三隅)に生まれる。
東京美術学校 (現・東京藝術大学) を卒業。
第2次世界大戦後のシベリヤ抑留の体験をもとにした57点の油彩からなる《シベリヤ・シリーズ》を制作。 生まれ育った三隅の地で亡くなる直前まで創作活動を行った。自然や動物、愛する家族を題材とした絵画は、過酷な体験からの記憶の彼方に、希望の光を追い求め生き抜いていこうとする生命力が満ちあふれている。
恩地孝四郎 ONCHI Koshiro
瑛九 QEi
瑛九(1911年4月28日 - 1960年3月10日)は、日本の画家、版画家、写真家。前衛的な作品、抽象的な作品が多い。
37年の自由美術家協会創立に参加し、油彩画とフォト・デッサンをはじめ、銅版画、リトグラフなどの多彩な作品を発表。靉嘔や池田満寿夫、磯辺行久、河原温、細江英公ら後に活躍する作家たちに影響を与えた。
泉茂 IZUMI Shigeru
大阪市に生まれる。1934年大阪市立工芸学校工芸図案科を卒業。大丸大阪店宣伝部に勤務するが、戦後画家を志し退職。1949年、須田剋太、津高和一、早川良雄らと「会ヴァリエテ」を結成。
1951年「デモクラート美術家協会」の結成に参加。瑛九の影響を受け、銅版画や石版画を制作し始める。1957年、第1回東京国際版画ビエンナーレで新人奨励賞を受賞。同年の第4回サンパウロ・ビエンナーレにも出品した。
1959年ニューヨークに渡り、1963年にはパリに移住して、幾何学的な抽象形態による作風へと展開。1968年に帰国後は、定規やコンパス、エアブラシを用いて主観性を排した抽象表現を試みた。
宮崎進 MIYAZAKI Shin
42年、日本美術専門学校を繰り上げ卒業のちに召集され、第二次世界大戦後、捕虜となりシベリアの収容所で4年間の抑留生活を送った。
帰国後に画家として本格的な活動をスタートし、少年時代の思い出をベースとした《見世物芸人》や、芝居小屋やサーカスがモチーフの「旅芸人シリーズ」を発表。1967年「見世物芸人」で安井賞、1998年芸術選奨文部大臣賞受賞。
90年代には、過酷な抑留生活の記憶の象徴として、麻布や新聞紙を用いた絵画を手がけ、人間や生命に対する強い感情を表現してきた。
シベリア抑留の記憶を起点に、絵画や立体作品を通して人間・生命に向き合い続けた。
今井俊満 IMAI Toshimitsu
1950年東京芸術大学美術学部油絵科で学ぶ。1952年第1回フランス政府給費留学生として渡仏。サム・フランシス、ミッシェル・タピエらと交流しアンフォルメル運動に参加するとともにこれを日本に紹介。重厚なマチエールを繊細な線で覆う独自の非具象絵画を確立。詩画作品などを試みた後、1983年頃から日本の伝統美を蘇生させる「花鳥風月」シリーズに着手、1990年代後半に「広島」や「長崎」などの戦禍の図に取り組んだ。20世紀末には大きく作風を変化させ、当時社会現象ともなっていた「コギャル」を題材にした新作を発表する。彼女たちを「現代の日本で唯一オリジナルな存在」と絶賛した今井は、「21世紀は女性の時代」と語った。
篠田桃紅 SHINODA Toko
中国・大連に生まれる。5歳の時、父の手ほどきで初めて墨と筆に触れ、以後独学で書を極める。第二次世界大戦後、文字を解体し墨で抽象を描き始める。1956年渡米しニューヨークを拠点にボストン、シカゴ、パリ、シンシナティ他で個展を開催。58年に帰国後は壁画や壁書、レリーフといった建築に関わる仕事や、東京・芝にある増上寺大本堂の襖絵などの大作の一方でリトグラフや装丁、題字、随筆を手掛けるなど、活動は多岐にわたった。1950年代の激しい筆致はやがて叙情性をたたえ、80年代から90年代にかけては、線はより洗練された間を構成していった。
麻田浩 ASADA Hiroshi
麻田浩(1931年-1997年)
初めてのヨーロッパ旅行で古典絵画に出合ったことで、アンフォルメルに傾倒した抽象的な作風からシュルレアリスム的手法の具象画へと変化。パリを拠点に幻想的な風景画を生み出し、1950年代から60年代にいたる初期の時代には非具象表現を追求し、人体をモチーフとしたイメージによる絵画世界を模索していきます。写実的技法を駆使しつつも、現代という時代に潜む不安感を示すかのような「原風景」「原都市」と題された一連の心象世界を開拓、国内外で高い評価を獲得しフランスをはじめ、ベルギーやドイツ、ニューヨークなどでも個展が開催されるほか、海外の展覧会での受賞歴も多数。