卵と方丈
柄澤齊 版画集『方丈記』
日和崎尊夫 詩画集『卵』
会期:2022年7月25日(月)ー8月6日(土)
開廊時間:11:00ー18:30 日曜休廊
卵と方丈
日和崎尊夫と嶋岡晨による詩画集『卵』の完成と発表は1970年。それを見て木口木版画家になろうと決意した二十歳のときを回想した文章に、私は以下のように書いている。
「ヒワさんこと日和崎尊夫は一九四一年高知市に生まれ、一九九二年、同市で不帰の人となった。現代の木口木版はこの人に始まる。
私がヒワさんの作品と出遭ったのは一九七〇年、銀座の画廊で開かれた個展会場でのことである。友人からすすめられて初めて入った地下の画廊で、その版画を見たときの総毛立つようなショックは今でもはっきりと覚えている。白い壁面にかけられた額縁の中の一点一点が、この世に穿たれた深い闇への入口であり、その中に限界まで圧縮された生命体を思わせる光の粒子が隙間なく蝟集している宇宙
それはヒワさんの制作が最も旺盛であった時期の作品群、「カルパ」と題された連作と詩画集『卵』の展観で、私は一目見るなり呪縛されたようにその場に立ち竦んでしまった。(中略)
しかしそれが版画だけだったら、私はこの世界に深く足を踏み入れることはなかっただろう。その時会場の小机に展示されていた一枚の版木が私の人生に魔法をかけたのである。」 (エッセー集『銀河の棺』所収「星より近き」)
いつのまにか『卵』の魔法から半世紀あまりが過ぎ、五十で亡くなった故人の歳をはるかに超えてしまっている自分がいることに驚く。
日本における現代木口木版の原点ともいうべき日和崎尊夫の『卵』と、その死後、追悼の思いを込めて創った版画集『方丈記』(1993-1994)が一緒に展示される機会に恵まれたのも、これも運命的なことのように思えてならない。
いずれも作者が自認する代表作であり、両作の成立とそのあいだを結ぶ時間には語りきれないほどの物語が流れている。木口木版は木の年輪面を彫って版にする。年輪は版画家の手によって生命を胚胎した卵であり、個の想像力を生きるための方丈でもあることを作品から読み取っていただきたいと願っている。
柄澤齊
詩画集『卵』(1970年)と版画集『方丈記』(1993-1994年)を展示致します。
日和崎尊夫 詩画集『卵』は、詩人嶋岡晨との共作で、日和崎の作品を見て嶋岡が一気に詩を書き上げました。日和崎の代表作のひとつでもあり、現代木口木版画の記念碑と位置づけられる作品です。「卵と樹木の持つ生命のようなものを、宇宙的な広がりと交錯させながら、生の原質を版面に刻み込んだ」と日和崎が語るように、年輪と交感することにより刻み込まれた闇黒と光芒の宇宙は、底知れぬ凄みを帯びています。
柄澤齊 版画集『方丈記』は、鴨長明のテキストによる16点の版画からなる連作です。
他に手掛ける者のない木口凹版の技法が用いられており、柄澤作品の中でも極めて抽象的に表現された作品です。長明が身のよりどころとした小さな方丈は、版を生のよりどころとする版画家の「方丈」に時空を超えて繋がります。
お二方の作品からは、現代にも通じる人類に対する根源的な問いがあるように思います。
世界が大きく変容する今、両作に宿る普遍的な生のかたちに、それぞれの思いを巡らせ、刻み込まれたことばを感じて頂ければ幸いです。